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塩釜レポート

海の標識で養殖業を守る (1/2)

ワカメ養殖を完全復活させるために続けた努力

仙台市からクルマで東へ1時間ほどの場所にある塩釜港。マグロの漁獲高や魚肉錬り製品の生産高で日本一を誇る、東北屈指の漁港だ。その塩釜港の北端に位置し、松島湾を臨む場所に塩釜市漁業協同組合(以下、塩釜漁協)がある。 震災の大津波は、松島湾に浮かぶ200を超える島々が防波堤の役目を果たしてくれたお陰で、塩釜漁協一帯に到達する頃には、高さ2メートルにまで減少していた。それでも、海辺に建つ塩釜漁協は1階部分が冠水。80名いる組合員のうち、6名の自宅が流されるなど、被害は決して小さくなかった。

塩釜漁協前の港に停泊する漁船。海の向こうには、松島湾の島々が見える 塩釜漁協の事務所前にある駐車スペースは、震災による地盤沈下のため満潮時は海水が溜まり、小魚も打ち上げられる
(左)塩釜漁協前の港に停泊する漁船。海の向こうには、松島湾の島々が見える
(右)塩釜漁協の事務所前にある駐車スペースは、震災による地盤沈下のため満潮時は海水が溜まり、小魚も打ち上げられる

 さらに漁業関連の打撃も大きかった。
 震災当時、塩釜漁協の前には70の漁船と200のレジャーボートが停泊していたが、津波によって次々と松島方向へ流されていった。船を回収しようにも、牽引する大型の船がないため、漁業関係者はただ船が流されていくのを見ているほかなかった。海中に張られていたワカメやコンブなどの養殖施設もことごとく流され、沿岸部に設置されていたワカメを塩蔵加工するための施設も破壊された。
 「周辺にはガレキが散乱していました。宮城県に申請して組合員はガレキの撤去を行いましたが、25日間ですべてを片付けたことは今でも誇りです」 塩釜漁協で代表理事組合長を務める鈴木久仁さんはそう言って胸を張る。

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震災直後の塩釜漁協の取り組みについて語る鈴木組合長

 震災直後、ガレキの撤去には1日あたり1万2千円の日当が宮城県から支給されていた。撤去作業を引き延ばせば引き延ばすほど、日当をもらえる期間も長くなるが、鈴木組合長をはじめ、塩釜漁協の職員と組合員は一刻も早くガレキを撤去しよう努力した。
 「ガレキの撤去作業で日当を稼ぐより、漁業を復活させたほうが稼ぎがよくなるのは事実。でも何より、組合員は早く本業に戻ることを望んでいたし、漁協としてもそうさせてあげたかった。漁業を復活させることで、誰もが誇りを持って生活できるようになるからです」

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塩釜漁協の職員と組合員は、一刻も早くガレキを撤去するために努力を続けた(写真提供/塩釜漁業協同組合)

 ガレキの撤去を早期に終わらせたことも奏功し、塩釜漁協では震災から3ヶ月後の2011年6月にワカメの種付けを開始。12月から今年の1月にかけて、無事に収穫を実現することができた。震災で流された分を少しでも取り返そうと、ワカメの養殖施設を例年の1.2倍に増やして設置した結果、収穫も1.2倍に増やすことができた。
 コンブ養殖やアナゴ漁など、まだ復旧していない漁業もある中、ワカメが完全復活したことは塩釜漁協の人々にとって大きな希望になったと、鈴木組合長は感じている。
 その一方で、ワカメの養殖を続けながら、コンブをはじめとした他の養殖業も復活させるためには、避けて通れない課題も横たわっていた。

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