活動について
各地域での活動
活動レポート
- 地元への深い愛情が人々を「絆」で結ぶ
- 郷土料理の商品化で食文化をつなぎ地元に誇りを取り戻す
- 人々の想いが新たなブランドを創り出す
- 被災した工場が被災地を応援するという取り組み
- 鯉ブランド復興にオール郡山で取り組む
- 宮城県の食材のファンを作る試み
野田村贈呈式レポート 水産品のブランド化で村の復興と発展を担う (1/3)
小さな村を襲った震災の大津波
2014年4月11日、岩手県野田村にある野田港・水産物蓄養施設で、「復興応援 キリン絆プロジェクト」による水産業支援の贈呈式が行われた。
岩手県の北東部に位置し、三陸の海に面する野田村は、人口5千人に満たない小さな村だ。主要産物であるホタテやワカメのほか、伝統の直煮製法により400年以上の歴史を誇るのだ塩、また、内陸で育つ山ぶどうなど、多彩な産業を村全体で大切に育ててきた。
しかし、東日本大震災の大津波は村の環境を一変させる。
震災による死者は37名、負傷者は17名にのぼり、村の約3分の1にあたる514棟の家屋が全壊や一部損壊などの被害に見舞われた。
三陸の海に面する野田村では、防潮堤の建設が進められている
また、震災は村の主要産業である水産業にも容赦なく襲いかかった。
ホタテやワカメの養殖施設や漁港の荷捌き施設、魚介類の保管や管理を行う蓄養施設などが、壊滅的な被害を受けた。全国から届いた多くの支援と、野田村の人々の努力により、現在、養殖施設はほとんどが復旧し、ホタテなどの生産も再開されている。
震災後に再建された荷捌き施設
その一方で、震災前に比べると生産量が激減したのも事実。沖合いで幼生(赤ちゃん)を捕獲して育てているホタテの場合、成貝(大人)になるまで最大で2年から3年の時間を要する。震災により養殖施設が破壊されてしまったために、すべてのホタテを幼生から育てなくてはならなくなった。その結果、震災前に270トンの生産量があったホタテは、100トン未満に減少。野田村のホタテは味や品質において、市場関係者から高い評価を得ていたが、生産量が少ないこともあり、一般的な知名度は低いままだった。
こうした状況を打破しようと、野田村漁業協同組合、漁師の集まりである野田漁友会、加工販売を手掛ける株式会社のだむら、そして行政である野田村の4者が協力して、2013年10月に「のだ印の水産物ブランディングプロジェクト」を立ち上げた。
プロジェクトの目的は、市場関係者など水産業の限られた人々には高く評価されているものの、一般にはあまり知られていない野田村の水産物の魅力を、ブランド化を通じて広く全国に発信すること。同時に、今まで未着手だったカキなど、新たな水産品の生産にも挑戦する。また、野田村の他産業の生産物や商品とも連携して、水産加工品を開発することも考えている。水産業を起点に、ブランディングプロジェクトを通じて、野田村全体の産業を盛り上げようという試みだ。
「復興応援キリン絆プロジェクト」水産業支援を展開するキリングループでは、野田村が一丸となって取り組む、「のだ印の水産物ブランディングプロジェクト」の趣旨に賛同。野田村のホタテやカキなど、質の高い水産資源の周知と付加価値向上によるブランディング、新たな販路拡大などに2千5百万円を支援することを決定した。(日本財団の協力のもと助成)